ペンとマスカラ

映画のメモと、思考の断片。

愛の深さ

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愛に深さなどないと思う。まして、差もない。愛とはある種の現象であって、影響の大きい小さいはあるにせよ、愛そのものの価値や深度について測る方法はない。

 

このブログには、私たちの子(あなた)に言いたいことを書いていこうと思う。万が一、あなたが大きくなる前に私が消えてしまっても、私の考えていたことを知ってもらえるように。

あるいは、私の言葉がつたなくて、うまくあなたに伝えられなかったときの、補足として。

 

私の愛は、あなたのそばに居ることではない。私の愛は、私の責任を全うすることと少し似ている。私は働いていたい。それは単なる要望としてというよりも、現実的に私たちが”文化的な”生活を送っていくうえで、必要だからだ。あなたはいずれ、日本の憲法にある「健康で文化的な最低限度の生活」の保障について知るだろう。そして、それが今の日本で少しずつむずかしくなっていっているということも。

 

あなたは近い将来、どうしていつも家にいないのか、と私を責めるかもしれない。そして、泣くかもしれない。私もきっと、泣くだろう。でも、私はあなたを愛していないから家にいないわけではない。

(論理的に言っても同値であるはずの言明「家にいるならばあなたを愛している」には多少違和感を覚える)

私はあなたを愛するからこそ、家にいない。

私の愛は、あなたを無事に、経済的にも文化的に豊かな環境の中で、育てていきたいという欲求の中にある。私は、将来経済的に困窮して、あなたに「どうして仕事をしなかったのか」と責められるより、今、泣いているあなたを置いていくほうを選ぶ。あなたを困らせたくないからだ。

 

あなた、という存在にとって、今だけの瞬間が数多く存在してることを、考えないわけではない。ひとつひとつの瞬間が、かけがえのないものだということも、考えたことはある。

でも、それはいつまでたっても、そうなのだ。あなたという人が生き続ける限り、あなたにとっても、私にとっても、常に、今という新しい瞬間が訪れ続ける。私たちの関係は常に変化し続けるし、常に「今しかない」瞬間の連続だ。

 

私たちには、私たちの形がある。そして、私たちの一員として生まれてきたあなたには、できれば、私の愛はそういう形なのだと知ってほしい。理解できなくてもいい。ただ、それは愛なき行動だったのではない、ということを、知っていてくれたらと思う。

 

正しいだろうか?私の愛の形は?

正直なところ、私にもわからない。ただ、私が与えられるのはこのような形だとしかいえない。

充分ではないだろう。理想からは遠い。言い訳なのかもしれない。ただ、私はそういう方向での努力をすることがあなたにとっていいと信じている。いま私が選び取れる未来のなかで、愛の形のなかで、最善を選んだつもりだ。

(いつか、自分の限界の中で最善を探してもがく話をしよう)

 

私の愛は、ただそばにいることではない。あなたが育っていく養分となり、空気となり、やがてあなた自身となるもののうちに、存在するということだ。だからきっと、あなたが生きていてくれるということが、私にとって最大の愛なのだと思う。