ペンとマスカラ

映画のメモと、思考の断片。

子を産むことについて

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最初の記事にも書いたとおり、私にとって、子を産み母となる、という選択をしたことは大きな分岐点でした。ただ、そのように歩きはじめてから、なにかがすごく変わったかというと、実はそれほど変わりません。

親となるからには、子の背負えない責任を背負ってあげようとか、どんな子になるんだろうというごく一般的に語られてきたであろう期待以外は、特別な感情もなく、自然と(おそらくこの言葉がいちばん当てはまると思いますが)受け入れています。

もちろん、ときおり、子が自分のところへやってきてくれたことに言いようのない感謝を感じて泣いてしまったり、はたまた、出産のための準備に夫が協力してくれないとヒステリーを起こしたりはしているのですが。それは私のこれまでの傾向として特別なものではありません。強いて言えば、その傾向が子という対象によってさらに複雑な現象へと変化しつつあるのは感じます。

夫との関係もそう。これまで2人きり、互いを支えるということしか考えてきませんでした。なんでも半分こ。彼が私を支えてくれた時期もあるし、私が彼を支えている時期もある。自分がきちんと立っていられるから、彼も隣にいてくれる、というような、よく言えば独立的な、悪く言えば傲慢な、思いが強かったし、それは今でも変わりません。

ただ、妊婦となってわかったのは、自分の意思ではどうしようもないこと、というのが世の中には起こりうるし、それを乗り越えようと思ったら、周囲の人や環境の支えがどうしても必要だ、ということです。無職で失業手当を受給していたときも思いましたが、社会制度のありがたみを感じるのもこういうときです。普段は高い税金だなぁと思うわけですが、いざ、自分が動けない身になってみると、たとえ少ない額であっても、何らかの手当てが支給されるのは本当にありがたい。

普段から、誰かのおかげと思うような性格ではないですし、なんでも自分でやってきたという思いが非常に強いのですが、今度ばかりは、やっぱり会社の人や、家族に助けてもらえてよかったし、社会保障がまがりなりにもあってよかったと感じました。自分が何かしたことへの見返りではなく、純粋な手助けというものが世の中には存在する。そのことに、とてもほっとしました。

もし、赤ちゃんを産むかどうか悩んでいる同世代の方がこれを読んでいるのだとしたら、ぜひあなたの周囲の人を信頼してください、と伝えたい。私たちが想像する以上に、みんな協力的です。ニュースでセンセーショナルに取り上げられる妊婦いじめは、ごく少数の心無いひとたちの仕業です。それ以外の多くの声をあげないひとたちは、新しい生命の誕生を喜んでくれています。子を産むことで社会とのつながりを強く感じることができたのは、ほんとうにとてもいい変化だったと思います。